第百三十二話 タイパ。
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、ここ数年のとても悩ましく感じる『タイパ』について綴ってみようと思う。
それではどうぞ。
「無駄が好き。」
タイムパフォーマンス、略して『タイパ』。
Z世代を中心に広がりをみせたこの言葉。費やした時間によって得られた効果や満足度を大事にするという価値観。正直、なかなか受け入れ難い傾向だと思っていたのだが、よく考えたら知らぬうちに『タイパ』を実施していることが多々あるのだ。
その代表が動画の早見。字幕があるものなら最大マックス2倍の速さで観ている自分がいる。自動字幕だから多少の誤字などは気にしないのが、逆を返すと完璧を目指すより早く作業を仕上げることを重要視しているとも言える。雑誌や文庫だと誤字脱字は恐怖でしかないのだが、もはやそういうのも読む側の寛大な心に委ねられてきているのだろう。
冷凍食品の進化も『タイパ』そのもの。昔からあるものの、最近の冷凍食品のクオリティの高さといったらスゴすぎる。こんな美味しいものを作ろうとしたら、時間もお金も料理の技術もすべて必要になってくる。完全にお手上げ状態。毎日大変なお弁当作りは、冷凍食品のオンパレードになること間違いなし。
だがしかし、ボクはどうしても”無駄”を嫌いにはなれないのだ。いや、むしろ”無駄”が好きと言い切ってしまいたい。コーヒー豆を手動のミルで何百回も回して1杯分を挽く。お店で挽いてもらうのとそこまで味に差があるとも思えないし、さては気取ってやがるなと決めつけていた。いざやってみると、削れる振動と手に伝わる感覚、砕ける心地のよい音は、無心になれる良質な時間。
料理にしてもしかり。夜中、寝れないときはおもむろに台所に立ち料理を始める。レンコンのきんぴらや炊き込みご飯、チキンのトマト煮やミートソースなど、作るものは冷蔵庫の中身次第。できあがったものを弁当箱に詰めて、明日のためのセルフ弁当。あとは冷凍庫にしまうだけで、食べるための夜中のクッキングではない。
美味しいものを食べたいのであれば、レストランなどプロの作る料理をいただけばいいし、それこそ冷凍食品を食べればいい。ただ毎日となったら話は別で、外食はほどほど飽きてくるし不思議と家庭料理を欲してくる。とても表現のしらいゾーンであるものの、この違いが絶妙で『タイパ』以上に価値のあることではないかと思うのだ。
『手作り』『手打ち』『手仕事』などからは、心が込もっていて手間を惜しんでいないという印象を受ける。これらには”無駄”もたくさん含まれているがゆえに価値があると信じたい。
”無駄”なものなんてひとつもない。
”無駄”からなにを学んで価値とするかは本人次第ではなかろうか。
「まとめ。」
やっぱり”無駄”が好き。
”無駄”と『タイパ』は対極にあるから困ってしまう。
手間をかければいいって訳じゃないし、早けりゃいいってもんでもない。
「はやい、うまい、やすい。」でお馴染みの<吉野家>が頭をよぎる。牛丼一本でやっていた時代に限るが、築地で働く人のために魚ではなくあえて牛丼を提供するという決断、身体を使う労働者のために寄せた味。当時の<吉野家>の牛丼は、愛情と想いと『タイパ』すべてを兼ね備えたものだったからこそ、日本人のソールフードとしてここまでの広がりを見せたのではないかと思う。
とっ散らかってしまったが、”無駄”と『タイパ』を共存させたくなった結果がコレとご理解いただきたい。
当時の<吉野家>をもう一度食べたい!
それではまた来週!