第百十五話 ステレオタイプ
いよいよ11月。
それなのに夏日連発、いまだに半袖でも暑い日があるなんて。
そんなことからふと浮かんだ言葉が『ステレオタイプ』。
今回の話はこれにしよう。
それではどうぞ。
「ステレオタイプ」
『ステレオタイプ』
ちょっと響きもいいし、個人的には好きな言葉。調べてみると、「多くの人に浸透している固定概念や先入観、思い込み、偏見、差別」などとされている。どちらかというとネガティブワード。印刷で使うステロ版が語源で、”型を用いて作られたように同じもの”らしい。レコードやカセットテープのステレオかと思っていたら、どうやらそうではないらしい。昔ながらの職人気質、頑固で不器用で融通が利かないことかと勝手に思い込んでいた。
ということは、今の時代において『ステレオタイプ』は害悪なことになってしまう。”コンプライアンス”という完全無欠なパワーワードがはびこる世の中。代表的な”A型は几帳面”、”イタリア人は陽気”、”都会の人は冷たい”などは偏見の塊。そんな言葉を発しようものなら、周りの人は苦笑い。容易く想像できる。これでも現代のおじさんたちは本当に気を遣って言葉を選んでいて、我慢する姿が痛々しくなることもある。
とひと通り悪口を綴ったが、とはいえどうしても嫌いになれない『ステレオタイプ』。固定概念の安心感というか、思い込みの良さみたいなところってあるのではないかと。純喫茶では優しい年配のマスターや熟練夫婦に迎えられたいし、お相撲さんは和服に丁髷がよく似合うから洋服姿をあまり見せてほしくない。水戸黄門の印籠がなくなったらどうも歯切れが悪くなるし、正義の味方には最後に必ず勝ってほしい。豆柴とおじいちゃんの相性も抜群、これらすべては『ステレオタイプ』。
ちょっと”レトロ”にも通ずるこの言葉。時代の流れが早すぎて、古き良きに触れて感傷に浸ることさえ難しくなりつつある。昨今のレトロブームでなんとか生きながらえている昭和カルチャーも、早かれ遅かれいつかは消えていくもの。歴史をみてもこればっかりはどうしようもない。残っていくのは現代の人に見初められたモノゴトで、なにが選ばれていくのかいまから楽しみでしょうがない。
「まとめ。」
決して疲弊しているわけではない。
歳を重ねなければわからない楽しみもあるもので、そこらはまた改めてコラムにしたい。世代世代で悩みも喜びも不安も幸せもあるわけで、カタチは違えどそんな大差などないと思えてしまう。
ただひとつどの世代にも言えることは、他人と自分を比較することは自らを苦しめることになるということ。隣の庭は大抵よく見えるものだし、人の不幸で自分が幸せになるわけでもない。人を羨んだところで心は荒んでいくだけ。いまの自分を否定せず、たまには褒めてあげたらいかがでしょう。
最近、めっきり褒められることがなくなった道草次郎。
それではまた来週!