
第二百一話 コリナイ
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
今回は、何度も失敗してしまう件について綴ってみよう。
それではどうぞ。
「アイスココア。」
最近、駄菓子屋というのは存在するのだろうか
学校が終わると一度ランドセルを置きに帰り、駄菓子屋で友達と待ち合わせ。数十円を握りしめてなにを買うか考える。最初に買うか、遊んだ後に買うか、もしくは半分に分けて使うか、それなりに知恵がついてくる。夏の暑い日なんかは、出費はデカいけど、自販機から瓶のファンタグレープを引き抜いて一気に飲み干す贅沢もあった。
”メンコ”や”キン消し”、”ベーゴマ”など、ブームがきては去っていき、また違うブームが訪れる。駄菓子屋が居酒屋に、ファンタグレープがビールに、”メンコ”や”キン消し”がパチンコや麻雀に変わっただけで、大人になってもなんら変わることはない。振り返れば、子どもの世界にもややこしい人間関係やくだらないヒエラルキーなども確かに存在していた。大人になるための社会勉強は、こんな頃からすでに始まっていたのかと思うと少々恐ろしくなる。
そんな頃からまったく学習できないことがある。それは紙コップの自販機。正確にいうと、何度も裏切られているのに懲りずにまた押してしまうメニューがある。ピンときた人もいらっしゃるはず。そう、あの”アイスココア”が曲者なのだ。暑くて疲れた身体に”アイスココア”なんて、なんと響きがイイことだろう。前のめり気味に喫茶店の濃厚なものをイメージしてしまい、あまりのギャップに耐えることができない。ホット用をアイスにしているから、氷は入っているもののすぐに溶けてしまい、もはや生ぬるいココア風味の水と化している。最後まで飲みきった記憶がなく、”アイスココア”というアプローチにいつも負ける自分に落胆してしまう。
これで何度目だろう
先日もやらかした
「まとめ。」
わかっちゃいるはずのに、懲りずに同じ失敗をしてしまう
ただ失敗も、繰り返すほどに失敗ではないような気にもなってくる
コスパだのタイパだの、無駄を嫌う人たちからしたらまさに理解不能。無駄が好きな筆者は、無駄にも意味があることを伝えなければいけないと、勝手に使命感に追われている状況
さすがにこの”アイスココア”を救うことはできなそうだが・・・
それではまた来週!
