
第百九十一話 ブック
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、思い立って始めた行動について語りたい。
それではどうぞ。
「イヤフォン。」
携帯のイヤフォンが見あたらない。
が交通機関を利用するにあたり、イヤフォンがないと携帯のすばらしい機能も半減されてしまう。ふと頭をよぎったのが、電車の中で小説を読む女性の姿。あまりにも珍しい光景をどこか意識に残していたのだろう。シートに座る全員が、同じ姿勢で携帯をいじる様子はいまだおもしろおかしく目に映る。今日は読みかけの小説を持って外出することにする。
バスに乗り込むと同時に本を開く。周りの雑踏は一瞬でなにも聞こえなくなり物語の世界に吸い込まれていく。降りなければいけない停留所を危うく通り過ごす勢いで、人をかき分けながらいきなり現実の世界に戻される。
携帯に慣れすぎてしまっていたのかもしれない。初めてイヤフォンをしてワンセグのTVを見ながら外を歩いたときは、それはそれは衝撃的ですごいことをしているという不安と平静を装うあまり、周りをキョロキョロ挙動がおかしかった。いまとなっては視覚と聴覚に頼りすぎて、想像することを疎かにしていたことに気付かされる。
数日が過ぎ、小説はいよいよ後半戦に近づいていく。あまりにも切なくて、やりきれなくて、でも誰が悪いわけじゃない物語の真っ只中、下車という強制停止命令。続けて読みたいがそんな時間はない。あまりにも感情移入が過ぎて、一日中感傷的な空気から逃れることができなかった。
映画もアニメもYouTubeもよく観ているが、本を読むということを忘れていた。文字から得た情報を整理して、想像した勝手なイメージの世界を作り上げていく。少なからず文字で細かな設定をしてくれているから、そこまで外れたものにはならないものの、頭の中の風景や人物像はヒトによって多少の誤差が生まれるはず。調べたら過去に映画化されているということで、すり合わせができる楽しみも生まれた。
イヤフォンは見つかったけど、しばらくは必要なさそうだ
「まとめ。」
気づいたことがある。
最近のバスはものすごく暗いということ。携帯は自ら発光してくれるからなにも気にならなかったけど、読書にはあまりにも暗すぎる悪環境。見えないから、棟方志功のように10cmの距離まで顔を近づけて文字を追っかける始末。誰の目も気にせず、それでも読もうとしているのがおかしくもある。
本は視覚から、落語は聴覚から
どちらも想像することを求められる。与えられた材料を自分なりに料理し手を加えることで、自分の中に深く入り込み”経験”をしていることとなる。”知識”とは違うこの”経験”は、誰でも手にすることができる手軽なもの。たまにはいかがでしょう?
ブック! アカンパニーオン
ソーフラビエ
それではまた来週!
