第百五十九話 センキュー、おじさん
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、ふと思い出した話をしてみようと思う。。
それではどうぞ。
「苦い思い出。」
先日知人の事務所に訪れたら、展示会の準備でみんなバタバタ。
となればなにか手伝いたくなり、シャレたDMの宛名シール貼りをすることに。みんなでやろうとしたから、ひとりでやっとくから各々自分のやることを優先してと伝える。やりやすいように配置や動線、一連の流れを整えていざスタート。すごく楽しい。やり始めて2時間強、666枚のシール貼りを終えた。人の会社の郵便物。斜めになんて貼っていたら会社の姿勢を疑われる。いかに早くキレイに貼れるか、自分の中の何かが目覚める。それと同時に、学生時代のバイトのことを思い出す。
30年以上も前だが日雇いバイトをしていたある日、いきなりの大雨で現場作業が中止になり、事務所で待機をする間事務作業をすることになった。このバイトは時間関係なく、作業が終わればすぐ帰れて日当がもらえるというもの。そんな邪な思いがあったのか、ただハンコを押すだけの作業を、なにも考えず早く終われせたい一心で適当に仕上げてしまう。そこらを現場のおじさんは見過ごさない。こういう単純作業も仕事は仕事、手を抜かずしっかり仕上げるものだとものすごく怒られた。すいませんと答えたものの、不貞腐れていた記憶がある。社会人となり、あのおじさんの言わんとしていたことが身に染みてわかるようになった。
ふとしたタイミングで必ず蘇る苦い思い出、教訓であり、叱ってくれたことに心から感謝している出来事。以後、単純作業こそ手を抜かず真剣に取り組むようになった。慣れてきたら、どれだけ効率よく丁寧に仕上げられるか模索することに楽しみまで見出せるようにもなった。
仕事に向き合う姿勢、働くことの責任を植え付けてくれた。
顔すら覚えてないけど、センキュー、おじさん
「まとめ。」
振り返ると、怒られたり叱られたりしたお陰で、人として正してもらった気がする。
また、大人になると叱られることが減るから老害が増えるのではないかとも思えてくる。
雷オヤジなんて小さい頃は必ず町内にひとりはいたもので、たった数十年で存在自体が”悪”扱いされる始末。もしかしたらいまの時代だからこそ必要なのかもしれませんぜ。
おじさんにしかできないことがある
それではまた来週!