第百三十九話 メガネ・メガネ。
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、『メガネ』の話をしてみよう。
それではどうぞ。
「思い入れ。」
小さい頃から近視、途中で乱視、いまでは老眼と、目にはいつも悩まされてきた。
コンタクトをするまではメガネが嫌で嫌で、どうしても必要なとき以外は掛けなかった。停まっている車に自転車で突っ込んだり、キレイすぎるガラスの壁に突進したり、、、目が悪いってなんて不便なのだろう。いまでは老眼鏡まで必要になり、メガネとの付き合いはとても長い。
就寝前はたいてい本や動画を見ながら寝るので、メガネを掛っぱで寝落ちしてしまうことも多々ある。先日、寝返りを打ったときに背中で耳にかけるところ(テンプル)をバキッ。しかも2日連続、老眼鏡まで壊してしまう。まったく学びのない自分に落胆しつつも、「ちょうど度も弱くなってたしー」などと気持ちを前向きな方向に持っていく。
壊れたふたつを持って、早速メガネ屋さんを訪れる。店員さんからしたらさほど重要でもなさそうな壊れた詳細を一方的に伝えてみる。メガネに囲まれた空間からか、この強制的な買い替えチャンスに気分も盛り上がってくる。ところがである。壊れたメガネは、どデカサングラスのフレームに度入りのレンズを入れていたことを忘れていた。古すぎて同じ型の在庫もなく、似たようなフレームはいまのトレンドではないらしい。顔の大きい自分にとって流行などどうでもよく、ただただ入るメガネが欲しいだけなのだ。店内をぐるぐる何周するも、結局修理をすることに。盛り上がり掛けた気分もどこかに消え去り、しばらくメガネのない生活に逆戻り。
『修理して、使い続ける』
どんなものでも、ひと昔前まではアタマをよぎる選択肢。いまでは安くて便利で品質も十分なモノが使い捨て感覚で溢れているから、筆者自身もすっかり忘れかけていた”修理”という存在。高級品ならまだしも、数千円のメガネを1万円以上費やして修理するこのおかしな所業。にも関わらず、不思議なものでどこか心は満足しているのだから、損得がすべてではないということなのだろう。
価格や流行なども及ばない、”思い入れ”という価値も存在するのだとメガネを通じて教わった。
「まとめ。」
この壊れたメガネに特別な”思い入れ”があったわけではない。むしろ買い替える気満々だったのに、顔の幅が合わなかっただけ。修理をするとなって初めて芽生えたのであって、この日をきっかけに”思い入れ”のあるモノになってしまった。
高級、希少、限定など、値段という指標で計れる価値と、この”思い入れ”という見えずらい価値。
ヒトに自慢したくなるのか、自己満足なのか。
世間体という色メガネを、歳を重ねるにつれてようやく外せそうな道草次郎。
あなたにとって本当に価値のあるものってなんですか?
それではまた来週!