第百三十五話 ショク。
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、『食』にまつわる話をしてみよう。
それではどうぞ。
「バナナはバナナ。」
先日、急性胃腸炎になった。
そんなとき、なにを食べればいいのだろうか。ある知人から”バナナ”は栄養があるし消化もいいということで早速スーパーへ。実際バナナを目の前にすると、まったく無知なだけにどれを選んでいいのかわからない。フィリピン産、エクアドル産、台湾産、、、手にしたのはちょっと青みがかった台湾産バナナ。なんとなくちゃんとしてそうな勝手なイメージ。振り返れば、かつてバナナを買った記憶がほとんどない。
まだ青さが残っているけど、バナナはバナナ。甘味と香りが少なくて、代わりにちょっとカタい食感と若干の青臭さが残る。あれ、コレはコレで嫌いじゃない。いや、むしろコッチのほうが好きかもしれない。ここでふと思い出すのは、本コラム第四十二話『さくらんぼの木』で訪れた山梨の果樹園の人たち。桃も栽培している現地の人は、桃は甘く熟したものよりまだカタくて白い状態のものを好んで食べると言っていた。オススメされたとおり食べてみると、フレッシュな甘味と酸味、みずみずしくて野菜のような食感に、いまでは完全にコッチびいきになってしまった。ということは、今回の青みがかったバナナも同じなのだろうか。
好みと言ってしまえばそれまで。だがしかし、果物をよく知っている果樹園の人たちが言うのであればそれなりの説得力がある。生ハムいちじくをはじめ、酢豚のパイナップル、青パパイヤのサラダなど、果物を使った料理は数多く存在する。果物を肉や野菜と炒めたりなど言語道断、受け入れられない人も多いことだろう。
よく考えたら、ボクは食に対して好みで向き合っているわけではないようだ。この料理はどんな味がして、どんな変化を味わえて、どんな発見をさせてくれるのか。もう一度食べたくなるのか、クセになるのか、人に勧めたくなるのかなど、好き嫌いより好奇心が上回ってしまう。苦かったり酸っぱかったりするものはクセになる傾向があるし、味が何層も変わっていく料理にはいつも驚かされる。素材そのものの味に、どんな料理より贅沢さを感じることもある。
国や文化が異なれば、もちろん食にも違いが生まれる。固定概念が邪魔をして、現地の人が好む味を受け入れないのは勿体無すぎる。これだけ多様性多様性と連呼しているのであれば、果物にも料理の食材としての市民権を持ってもらいたいと願うばかり。
これからもいろんな国のいろんな料理を食して、もっともっと驚かせてもらいたいものだ。
「まとめ。」
食は本当におもしろい。
直接カラダに取り込むものだから、人に与える影響は多大なものなのだろう。うちのカレーや手作り弁当など家庭の味には”記憶”を刺激されるし、ラーメンのような無限に広がる食べ物には”エンタメ感”すら覚えてしまう。そんな五感を刺激しする食に、好みが出るのはあたりまえ。
一食一食を大事にしていきたいと、最近本当に思うようになってきた。
歳を重ねれば口も変わる
それではまた来週!