第二百二十六話 スキキライ

第二百二十六話 スキキライ


毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。

今回は、年末年始をきっかけに点を結んだひとりごと。

それではどうぞ。



「年末年始。」

今年ももう終わりだわ。ヤバいわ~」と言っている友人に、なにがヤバいのか問いても「なんとなく気持ちが。。。」みたいな曖昧な返答。ちゃんと社会と繋がって生活をしている人は、無意識に師走の雰囲気を感じとれているのだろう。

ボクは正月があまり好きではない。そのかわり年末は大好きで、まるで大雪の日のすべてを包み隠してくれるあの感じ、もしくは台風の大雨と強風の中もうどうとでもなれという諦めと吹っ切りにも似た感覚を味わえるから。”年忘れ” 昔の人はなんていい表現をしてくれるのだろう。

とはいえ最近、年末だろうが正月だろうが好き嫌いがなくなりつつあるのだ。良い意味だと物事をフラットに見れるようになってきてるとも言えてしまうし、悪いほうだと何事に対しても無関心で起伏がなくなってきているとも言えるのだ。

昔から苦手でしょうがなかった<時間厳守>も、最低30分は余裕を持てるようになってきた。最大の天敵<各種設定>も、時間を掛けてできたときの達成感に喜びさえ感じてしまう。<同じ作業の繰り返し>なんて、あっという間に過ぎ去っていく時間軸の歪みに驚きと充実の両方を得れるようにもなってきた。

もしかしたら歳を重ねるということは、好き嫌いをなくしていくということなのかもしれない



「まとめ。」

好き嫌いの話をすると、嫌いを持っている人が大抵責められ会話が繰り広げられる。なんで嫌いか、どうしたら嫌いじゃなくできるのか、何度繰り返しても結局は嫌い。たどり着くところはいつも一緒で「無理なものは無理」。ただ大人になって食べられるようになった椎茸とはワケが違う人生の好き嫌い。

歳を重ねたら、好きも嫌いもないほうが案外ラクに生きれるのかもしれませんぜ

それではまた来週!

    ボクの話

    道草次郎 物書き
    執筆活動を中心に、ディレクションからモノづくりなどにも取り組むマルチプレーヤー。
    本サイト内『じろうの道草』で、コラムも担当する。
    素性は如何に。
    ミスター・アウル
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