第百五十六話 ベンリ to フベン
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、”便利と不便”について話をしてみようと思う。。
それではどうぞ。
「不便益。」
こんな暑い時期でもエアコンのおかげで快適に過ごせる。なんなら携帯イジればご飯まで運んできてくれる。こんな便利な世の中になったのに、キャンプやアウトドアなどテントを建てたり火を焚いたりと、あえて不便なものや状況を楽しむことを『不便益/ふべんえき』というのだそう。
レトロ好きも多くいることだし、求められてるジャンルに思えてくる。このデジタル時代にレコードを聴くなんていうのもかなりの手間を要する。あえて手紙を書くっていうのは、昔よりも今の方が貰った相手に想いが伝わるのかもしれない。本や雑誌などはもはや不便益を得るためのものになりつつあるし、ポケモンカードなどはデジタルゲームにはないおもしろさとコレクション心をくすぐらされる。ワークショップやDIY、スローライフにミニマリズムなんていうのも贅沢に思えてしまうのだから不思議で仕方がない。
世の中が便利になればなるほど、不便さからはいろんなことを体験し学び、達成感を得ることができるらしい。豊かさや人間らしさを感じるために、あえて便利さを失わせる環境に身を置くこと。そこにヒトとしての本質や答えが詰まっているからこそ、惹きつけられ自然に求めてしまうようなのだ。
缶コーヒーより、豆から挽いたもののほうがなんだかありがたく思えてしまう。
コンビニ弁当は、どんなに美味しくても満足できないのはなぜだろう。
ということは、もしかして”手料理”や”手作りの弁当”っていうのも不便益の仲間だったのか!?
ビバ、不便益!
「まとめ。」
”不便益”という言葉を初めて知った。
<便利>と<人間らしさ>というのは反比例していくようで、便利になればなるほど大切な何かを見失い、知らない間にヒトを苦しめているのかもしれない。
とはいえ、洗濯板で毎日服を洗わなければならない生活など考えられない。
ヒトの生活を助けてくれる便利さは正義だしありがたいことだけど、過多になり過ぎると疲れちゃうからほどほどにしてほしい。まあ、進化が止まることはないのだろうけど。。。
いつか”不便益”を求めて、退化する時代がきたりして
それではまた来週!