第百四十五話 アコガレ。
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
ちょっと更新が遅くなってしまったが、さて今週は『憧れ』について話をしてみよう。
それではどうぞ。
「ないものねだり。」
『貴方は、自分にないものに憧れたことありますか?』
可愛らしい人がスタイリッシュな綺麗さに憧れたり、格好イイ人がおもしろい人に対して劣等感を感じたり。顔が小さい、足が長い、目が大きいなど、外見的な容姿の部分を言い出したらそれはもうキリがない。
ボクの場合、ひとつのことを永遠にし続けることのできる人、いわゆる”オタク”に憧れを抱いてしまう。アニメやゲーム、電車マニアなどいわゆる”オタク”と呼ばれる人は、大抵クラスに数人はいるもの。最近では1軍2軍のようなくだらないグループ分けなどされているようだが、そういうのが嫌いだったこともあり、ボクの中の”オタク”リスペクトが発動。イジメそうな奴(友人)も強引に巻き込み、結果、平穏に過ごせたのも思い返せば”オタク”への憧れが影響していたのだ。
好奇心でできているボクは、とにかくいろんなことに興味を持つ。がゆえに、移り気が激しく没頭する期間がどうしても短くなってしまう。いわゆる”飽き性”だということに気づいてからというもの、”オタク”の凄さを尊敬するようになったのだ。サンドイッチマンと芦田愛菜ちゃんのテレビ番組『博士ちゃん』は最たるもので、昭和のバブル時代をこよなく愛す<バブル博士ちゃん>や時計好きが高じて自分で修理までしてしまう<時計博士ちゃん>、<信号博士ちゃん>や<神社仏閣博士ちゃん>、<大使館博士ちゃん>に至るまで、かなりのマニアックな世界に没頭している人たちはとにかく輝かしいのひと言。みんないい表情をしている。
情熱のすべてを注ぎ込めるものがあること自体が奇跡だし、そこまで好きなものがあるということは幸福でしかない。そういうものを見つけられる感性に、突き詰めることができるという才能に憧れてしまうのだ。好きなものってそうそう見つかるものでもないし、自信をつけたいからといって簡単に手に入るものでもない。
大好きなことわざは『下手の横好き』。
情熱を注ぎ、熱心に取り組んでいるのにいつまでも上手くならない。”好き”という夢中になるほどの想いが存分に伝わってくる、なんとも人間らしい言葉。上手い下手なんて結果であって、好きかどうかが一番大事。小さい”好き”も、たくさん集まれば大きな”好き”になっていく。
せちがない世の中、”好き”に囲まれていたいものだ
「まとめ。」
われわれの時代に”オタク”という言葉が生まれ、当時は陽の目を見ない存在だった。
大人になるとわかってくる、時代を作るのはなにを隠そう”オタク”の人たち。
本田宗一郎も然り、手塚治虫、宮崎駿、秋元康、忘れちゃいけないさかなクン。ビル・ゲイツにスティーブ・ジョブスも”オタク”だし、音楽家やアーティストなどはほとんどといっても過言ではないだろう。彼らによって素晴らしい世界が作り上げられてきたのだ。
”オタク”はもはや、”偉大”・”卓越”・”カッコいい”などと同類語。
”オタク”になりたくてもなれない人もいるんすよ〜。。。
それではまた来週!