第百二十六話 ヒトが嫌い。

第百二十六話 ヒトが嫌い。


今更ながら、やっと冬らしくなってきた。

今回は、周りからもよく聞くこのフレーズを掘り下げてみようと思う。
タイトルは『ヒトが嫌い。』。

それではどうぞ。



「鈍感力!?」

ヒトが嫌い。
あらゆるところから耳にするテッパンワード。極端な話、街で自分の後ろを歩くヒトがいるだけで不快という知人もいるくらい。自身もなお、克服どころかますます悪化している永遠の課題。ヒトに十個幸せを与えてもらったとしても、ひとつ嫌なことをされたらすべてが台無し。一瞬で””が上回ってしまう。ただの嫌であれば「良い時もあれば悪い時もある。」ぐらいの気持ちで臨めるのだが、相手が関わってくるとそうはいかない。ヒトが発する負のパワーは強いから、いつも見えない何かに怯えているといったところ。

嫌なことをされると心が痛む。心が痛むと気持ちも不安定になり、落ち込んだりイライラしたりいつもの自分でいられなくなる。繊細であればあるほどより深くいつまでも引きずるものだから、避けたいという意識が生まれる。”自分を傷つけるのはヒト”と既にインプットしてしまってるのかもしれない。

以前、芸能界でも社交的で有名だったモト冬木(ビージーフォー)の言葉に深く考えさせられたことがあった。
僕はそもそもヒトと深く付き合うタイプではない。
浅い付き合いであれば、どんなに悪いヒトとも大抵は良い関係でいられる。
というのだ。これだけ交友関係が広いのは、そもそも彼の性分だったのだろう。仰るとおり、広く浅くすることでみんな良いヒトになるのであれば、それに越したことはない。自分を理解してもらおうという承認欲求を捨てあくまでドライな関係は、相手にとっても気楽で居心地もいいはず。アタマではわかっちゃいるが、どうしても距離を縮めたがる自分がいる。困ったものだ。

そしてもうひとつ、ヒトの醜い部分に触れたり目にした時に『ヒトが嫌い。』が発動する。理不尽傲慢自己中心感情むき出し、書き出したらキリないが、日常生活に溢れるよくある話。こういうことに過敏なヒトからしたらただただ迷惑な話だし、もしかしたら無意識に自分がそうなっている可能性だってあり得る。ということは、、、思考は無限ループに突入する。

いくら考えても答えなんて見つからない白旗状態。それでも言えることといったら、これからの時代図太く生きるために必要なのは<鈍感力>なのかもしれない。
だがしかしタカシ、手に入れる術も知らなければ皆無としか言いようがない。



「まとめ。」

終始、ネガティブな話になってしまった。
人間関係で悩んでいる方々、たくさんいることでしょう。自身も含めコミュ障が溢れかえっているのも納得で、なかなか明るい兆しが見えない昨今。

そうは言っても日常は刻々と流れていくものだから、<じろうの道草 第八話>『点を結んで、線とする。』で日々を乗り切っていこうじゃあ~りませんか!

以前のコラムに助けを借りて、まとめとさせていただきます。
それではまた来週!

ボクの話

道草次郎 物書き
執筆活動を中心に、ディレクションからモノづくりなどにも取り組むマルチプレーヤー。
本サイト内『じろうの道草』で、コラムも担当する。
素性は如何に。
ミスター・アウル
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