第九十六話 こだわり
来週はもう7月。
あっという間に1年の半分が終わる。
こんなに月日が流れるのって早かったっけなどと思ったりして。
さて、今回は『こだわり』について話をしてみようと思う。
着地点は見つかっていないが、いつもの見切り発車でいってみよー
それではどうぞ。
「こだわり。」
人にはその人なりのこだわりがある。
それって側から見れば、なんか大変そうとか窮屈そうとか思われることもしばしば。正直、わからなくもない。
例えば、『服は、黒しか着ない』とか『餃子は、酢と胡椒のみ』とか『賞味期限にやけに厳しい』とか『携帯を持たない』とか。『靴下をかかとだけ脱ぐ(半分だけ履いた状態)』など最後のはボクのクセのようなものだけど、本人にとってはきっとそれなりの理由があることだろう。好みの部分も大きく影響してくるけど、こればかりは人になんと言われようとなかなか変えられるものではない。迷惑にまでなっていないのであれば許してほしい。
一方で、最近このこだわりというものがどんどん薄れてきているのを実感している筆者。自分で作った”こだわり”の中で生きることが、つまらなくなってきているのだ。というのも、長年同じことをしていると「いつものこれ」みたいになり、どうしても保守的に走りがち。お店に行っても大体同じメニューを頼み、選ぶものも似たようなものになってしまう。そうなるとアウトプットはあってもインプットがどうしても枯渇してくる。
性根の”あまのじゃく”が、こんなところでも発動してしまう。
スイッチが入ればこっちのもの。
頼むものは、デフォではない限定メニューや想像できない名前のものをあえてオーダー。数日前、アジアン料理のお店で<エビパンパン>たるものが目に入り、あまりの響きに頼んでみた。これがまた強烈に旨かった。ここ最近行った”釣り”もその一環。やったことがないからではなく、やってみたいへ大幅に意識を転換してみる。そうすると見えなかったものが見えてきて、新たな発見があるというもの。
もうひとつ。
歳を重ねるとそれなりに経験が増え、過去に通り過ぎたものに置き換えて見てしまうことがある。「これはどこそこのやつに似てる。」とか「まるで昔あった◯◯みたい。」など、いま目の前にあるものをそのまま見ようとはせず、変なフィルターが掛かった状態にしてしまう。若かりし頃の偉大な先輩を思い出す。経験豊富なのは重々承知ではあるものの、いつも彼の記憶と会話しているようだった。知らぬ間に自分もそうなっているのではないか心配になる。
『人のふり見て我がふり直せ』
そうならないよう意識を持って毎日を過ごしたいと願うばかり。
「まとめ。」
こだわりがあることが悪いというわけではない。
ただ自分で意識していないところで呪縛にハマり、素直に物事を見ていないこともあるのではないかと。
これは非常に危ういことで、年齢を重ねるごとに人はマルくなるとか言うけど、その反面ガンコにもなる。真正面なのか側面なのかはわからないけど、せめて視点だけは広げておくことが良いのではないかというお話。
今回はいつものこだわりを捨てて、1部構成でだらだら綴ってみました。。。
こだわりについて、なにを思うかは貴方にまかせる投げっぱなしスタイル。
それではまた来週。