【独り言】僕の47年のあらすじvol.2
47年のあらすじのつづき。
ウキウキとBARをオープンした僕。
まだ物心付いたか付かないかの時分ですからアホでございます。
高すぎる家賃を気にも留めず、お客さんに誘われてはお店を閉め、Yellowやらクラジャマやらへレッツ
ゴー!!!BAR青山なんてのもありましたね。とっても好きでした。そして当然のようにお店は潰れ...
オープンから1年足らずでございました。
その次。
縁あって同じく西麻布にあったアムリタという伝説のBARで働くことになりました。
ビルの地下の怪しい扉を開くと、真っ赤な壁に蝋燭の炎揺らめく広大な空間、ボヘミアンなシャンデリア。
集まるお客様たちはそれぞれ「何者か」の大人たち。
俳優、ミュージシャン、カメラマン。一流の人たち。
毎夜ぶつかり昇華し合う個性。各々が率先するカルチャー。僕はとてもとても刺激を受けました。
初めてかっこいいと思える大人達を見ました。
あの頃のあの人達って、まさにGood Old Boy & Girl。今の僕らの歳くらいですよね。頑張らねば。
いや、自由を謳歌し遊ばなければ。
自分がなりたい自分は何者だろうか。
夜の仕事を辞め、実家に戻り、ジュエリースクールに通い始めました。
そうです。22歳の春、ようやく僕は普通の男の子に戻ったのです。
つづく。
えー、
ところで僕は44歳になるまで、誕生日には牡蠣を歳の数だけ食べると言うのを続けておりました。
胃袋の中を思うと気持ち悪いですね。生牡蠣44個がグネグネでございます。45歳からは辞めました。
僕の親父は、幼かった僕に牡蠣を開けろと命令してはひとりでペロリとたいらげる、それはそれは
テヤンデェバカヤロテメエ江戸っ子親父でしたが、生牡蠣にレモンケチャップタバスコで食べるんで
すね。僕がホットソースを作ることになった原風景です。
その父の姿は粋だったと記憶しております。
それ以外は完璧なる反面教師としてお勉強させていただきました。
そんな親父は退職金で刺青を全身へ彫り込み、未だ矍鑠(かくしゃく)としております。
※神輿好きな堅気です。
何の話だ、えーと、お風呂入っておやすみなさい〜