第二百十二話 レトロ感

第二百十二話 レトロ感


毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。

今週のテーマは『レトロ感』。

またまた長くなりそうですが、最後まで読んでいただければ幸いです。

それではどうぞ。



「カラオケ。」

世の中のトレンドは移りゆくもの。
ファッション、音楽、デザインに至るまで、昔の時代の要素を取り入れたものが流行るというのは、いまに始まったことではない。われわれ歳を重ねたような大人たちからすると懐かしくはあるものの、同時にちょっと気恥ずかしさも持ち合わせてしまう。

若い世代と昔のモノがくっつくと、なぜか知的な雰囲気を出すことができる相性の良いコンビ。手塚治虫が好き、ビートルズか好き、キューブリック三島由紀夫レコード喫茶店、さらにきゃらぶき熱燗にまで手を伸ばしたら、知的を超えてシブすぎる。とはいえ、そんな若者がいたら上の世代はきっと親しみを感じるはず。

こんな経験はないだろうか
なにかのはずみで年上の方々ばかりとカラオケに行く機会があったとする。そこで勃発するのが選曲問題。最近の曲を躊躇なく歌える人はどれほどいるのだろうか。相手の年齢層に合わせて、自分にとって可能な限り古い曲を記憶から掘り起こす。幼少期に両親が聴いていた曲を頼りに、その場に馴染むためになんとかしようとする行動。純粋に歌うことを楽しめれば、それに越したことはないだが。

レトロ感
響きはいいが、この言葉には危険が潜んでいる。いまの時代のレトロ感とはつまり、われわれ含めた上の世代すべてが”レトロ感”なのだ。戦後の昭和はすべて一緒、10年や20年の微妙な差なんてわからない。50歳やそこらの自分が石原裕次郎を歌っても、シブいなんて思う若者はひとりもいないだろう。

つまり、昔のままでは時が止まってしまった人になり、新しいことを追ってもただの若作りにしかならない時期だということ。押しても引いても難しいのであれば、価値観や本質に向かっていくしか道はない。そこはいままで培った経験や知識が存分に活かされる場所だし、説得力も生まれることだろう。

ひとつひとつ意味のあるものに囲まれて、過ごしていきたいと心より願うばかり



「まとめ。」

30年前なんて、ほんの昨日のことのようにはっきり覚えているし、中身もそんな変わってない気もする。けれど若いときと今とでは、同じことをしてもまったく違うものになってしまう。

つまり”現代のレトロ感”と”本当のレトロ”は違うということ。
前者はいまにない昔のいいところ、つまり上澄みのいい部分だけをすくって楽しんでいる印象。後者はただずっと変わっていないだけって気がする。レトロ感レトロは、遠からず近からず、実は似て非違なるものなのかもしれない。

レトロ感のある大人 or レトロな大人
さて。あなたはどっち?

ちなみにカラオケの例えを出してはみたが、そもそもカラオケは好きではない
それではまた来週!

ボクの話

道草次郎 物書き
執筆活動を中心に、ディレクションからモノづくりなどにも取り組むマルチプレーヤー。
本サイト内『じろうの道草』で、コラムも担当する。
素性は如何に。
ミスター・アウル
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