第二百十一話 お祝い

第二百十一話 お祝い


毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。

今回は、久しぶりに人間観察の回。
ちょっと長くなりそうですがご勘弁を。

それではどうぞ。



「ある日のバス。」

カフェで携帯を鏡がわりに、髪型や化粧を永遠に気にしている女の子。アイドルの缶バッチをこれでもかというくらいリュックに付けて、推しのタオルを首に掛けているオタクおじさん。満員電車の中で、立ちながらPCを広げて器用に片手で操作するデジタルくん。世の中にはいろんな人がいて、飽きることはない。

先日、ちょっとした出来事があった。バスに乗っていたら、あるおじいちゃんが支払いする際いきなりバランスを崩して倒れてしまった。停まっているバスとはいえ、当たりどころが悪ければ大惨事。周りの人が助けようと手を差し伸べるやいなや、そのおじいちゃんは「大丈夫だ!」と自力で立ちあがろうとするも立ち上がれず、何度も横たわった状態に。親切拒否された人たちもどうしていいか分からず見守っていたが、シビレを切らしたガタイのいい若者がヒョイっと立たせてくれた。

この一連に遭遇し、なんとも言えない気持ちになった。年寄り扱いされるほど耄碌していないと思うおじいちゃんの気持ちも痛いほどよくわかる。そういう強い気持ちで厳しい時代を駆け抜けてきたのだろう。ただここで言いたいのは『おじいちゃんが若者のココロを育てる』ということ。

席を譲る、手を差し伸べる、困っている人を助ける、こういう思いやりを育むのには”おじいちゃん”が必要なのだ。もちろん”おばあちゃん”もである。われ関せず見て見ぬふりをしがちな世の中で、”おじいちゃん””おばあちゃん”に対しては、躊躇せず一歩踏み出すことができる。手助けフリーパスであり、手助けされる国家資格を手に入れたようなもの。お互いにとってイイことづくし。

もっと甘えてもらっても良いんですがねー



「まとめ。」

図々しいお年寄りもたくさんいる。非常識な方もたくさんいる。
ややこしいことに関わらないというのも、選択肢のひとつと言えるのかもしれない。

一日一善、良いことをすると気分が違う。内から溢れてくる清々しい”喜び”があることを、教えていただくことできませんかね~、おじいちゃん!

将来の夢は、素直に甘えられるおじいちゃんになることです
人生の目標ができた、ということで
それではまた来週!

ボクの話

道草次郎 物書き
執筆活動を中心に、ディレクションからモノづくりなどにも取り組むマルチプレーヤー。
本サイト内『じろうの道草』で、コラムも担当する。
素性は如何に。
ミスター・アウル
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