
第二百六話 アコガレ
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
今回は、憧れについて綴ってみたい。
それではどうぞ。
「もしかして。」
何万人の観衆の目を釘付けにするミュージシャン
観る人すべてに感動を与えてくれるアニメーター
プレーで魅せるスポーツ選手
憧れる
とはいえ、自分がなれるかというのとは話が違う。何万人もの前に立ちたくないし、売れなきゃいけないプレッシャーで心が疲弊しそうだし、大舞台になればなるほど緊張でミスをしてしまいそう。ということは、憧れることと自分がなりたいというのは、必ずしも繋がっているわけではないのだろう。好きは好きなんだけど、それだけでもないような気もするし、”推し”とは明らかに違うのだけはよくわかる。
ライブ、展覧会、舞台、スポーツ観戦、おいしい食事、心を動かされたときはいつも目が覚めるような錯覚に陥る。こんなに人を感動させられるのかと過敏に反応してしまう。それができる人に対して抱く思いは、言葉にすると”尊敬”に近い。好きに尊敬が加わると、”憧れ”に格上げされるのかもしれない。
よくよく考えたら、具体的に憧れた人ってパッと思い浮かばない。この人みたいになりたいと思っても、それはファン的な好きであり、それですらずっと思い続けることはできていない。
もしかしたら、憧れとは特定のヒトではなく、その人がやってきたコトなのかもしれない
「まとめ。」
コラムを書くことって、思っていることをまとめて言語化すること。
まるで絡まった紐を解いていくように、終着点にたどり着くための修復作業。あっち行ったりこっち行ったり迷いながらも、答えを見つけたときは最後まで突っ走ることができる。
今回の『アコガレ』がまさにそう。
その人の本当の人間性を知らないのに憧れの人もなにも、なんのこっちゃわからない。その憧れとは、その人だけが辿り着けた場所に、行動に、結果に、与えてくれたコトに憧れを抱いたのではないかと思うのです。
この憧れが身近な人であったなら、これぞまさしく”憧れのヒト”ではないでしょうか。
紐を解いて、また絡ませるくりかえし
それではまた来週!
