
第二百五話 ジュウ to ゴウ
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
コラムアップが2日も遅れてしまいごめんなさい。
気を取り直して、今回は世の常『柔と剛』について綴ってみたい。
それではどうぞ。
「ラオウ。」
陰と陽、明と暗、光と影、静と動、創造と破壊、天国と地獄、昼と夜、、、ほとんどのことには逆がある。その中の『柔と剛』という対極を表す言葉。真っ先に思い浮かべるのが”北斗の拳”。古すぎて読んだことない方もいらしゃると思うが気にせず話を進めよう。
ラオウ、トキ、ケンシロウの3兄弟(ジャギという義兄は省く)こそ、『柔と剛』を象徴するもの。”剛”とは単なるチカラではなく、揺るぎない信念、威厳ある振る舞い、それに圧倒的な存在感が共存する。範馬勇次郎も捨てがたいが、元祖”剛”の象徴といえばラオウしかない。対して”柔”を定義するならば、しなやかで慈悲深く、人のために力を使う。”柔”の強さはやさしさであり、トキしかいない。その中間がケンシロウ。
男の子はちょっとお馬鹿だから、”剛”に憧れを抱く時期が必ずあるもの。チカラこそすべてを掌握できると本気で信じてしまっている。社会に出て現実を知ればそれなりに治まってくるものなのだが、大人になっても引きずってるととても厄介。勘違いから始まり、傲慢になり、横柄になり、自己中心的な思考が形成されてしまう。
そんな剛のチカラには、柔のチカラが本領を発揮する。『柔よく剛を制す』ことに美学が生まれ、日本の国民性にはぶっ刺さる。圧倒的勢力に立ち向かう個のチカラ。坂本龍馬に新撰組、「ワンピース」のルフィに「インディペンデンスディ」のウィル・スミス。座頭市っていうのもたまらない。そんな人間の摂理をあらゆるアニメ、映画、小説などで描いているが、根底にある”剛”への憧れは本能的であり麻疹のようなもの。もしかしたら、生命力の表れとも言えなくもない。
これを女の子に置き換えると、、、”美しさ”
やっぱり、なんか、たいへん。。。
「まとめ。」
”剛”の横には、たいてい”美人”がいる
ベクトルは違ど、似たもの同士なんだろう
あー世の中は面白い
それではまた来週!
