
第百八十四話 コーヒー牛乳
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、ちょっとした時事ネタからの話。
それではどうぞ。
「決意表明。」
明治のコーヒー牛乳が3月末で姿を消す。
この手のニュースを目にすると、なんだかいつも切なくなる。あの小さな瓶に入ったコーヒー牛乳は銭湯に行く楽しみのひとつ、もはや文化と言っていい代物。子どもとのコミュニケーションツールでもあり、なんともいえない昭和の匂い。とはいえ、年に1本飲むか飲まないか。結局は思い出だけが先走り、いざなくなると勝手に悲しんでいるだけの無責任な思考回路。わかっちゃいるけど、あったものが無くなる寂しさっていうのも湧き上がってくるもので、感傷に浸ってばかりの時代の変化。
そう考えると、お店もそのひとつではなかろうか。
子どものころ家族でよく訪れていた店や学生時代に通っていた店、気に入って何度も行ってた店も、環境が変わるとまったくといっていいほど生活サイクルから外れてしまう。飲食店からしたら一方的にお別れされて、寂しくならないのだろうか。そんなの当たり前すぎて慣れっこなのだろうか。それで閉店するとなったら、コーヒー牛乳と同じ感情になるのは必至。
思い出っていうのは厄介なもので、歳を重ねれば重ねるほど美化されてかけがえのないものになっていく。たかがコーヒー牛乳、されどコーヒー牛乳、それぞれにストーリーのある庶民に愛された昭和の逸品。こういう感情に訴えてくるモノにどうしても惹かれてしまう。
『いつかそんなモノやコトを作ってみたい!』
呑気にコーヒー飲みながら、決意を固めたニュースだった
「まとめ。」
4月からは紙パックで販売するようだが、違うんだよな~
コーラもビールもやっぱり瓶でしょ!
こうやって無責任なネット住民が世の中にわんさかいると思うと、なんだか恐ろしくなる発言の自由。その中のひとりになっているという現実を受け止めることもまた恐怖。無意識こそ、一番厄介な存在なのかもしれない。
くわばら、くわばら
それではまた来週!
