第百四十一話 ゲンザイ・カコ・ミライ
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週は、エピソード話を膨らませてみようと思う。
それではどうぞ。
「道しるべ。」
先日、古くからの仕事仲間であり友人でもある先輩とゴルフに出かけた。
いつもなら眠くなったり、渋滞に巻き込まれて疲れ果てる往復4時間の長距離ドライブ。今回に限っては到着するのが惜しいくらいあっという間に時間が過ぎる。お酒の席ではないのに1秒たりとも途切れることのない会話のやり取り。
たいてい旧友に会うと、あんなことあったこんなことあったと過去の出来事を懐かしむ場に花が咲く。学生時代の友人ともなればなおさらのこと。そこに現状報告が追加され、どっちに転ぶかは内容次第といったとこだろう。ところがである。この一緒に出かけた先輩との会話を振り返ると、ほとんどの話が”未来”に展開していくのだ。現状こうだけどこうしていこうと思ってるとか、これをやりたいんだとか、可能性を広げるポジティブなものばかり。現状に疲弊するだけでなく、しっかり前を向いて歩を進めようとする姿勢にこちらの気持ちも前向きになる。
良いことが5回あっても、嫌なこと1回ですべてを帳消しにしてしまうぐらいマイナスパワーは絶大。会社の愚痴や仕事の悩み、身体の不調や病気など、現状の不平不満などに支配されやすいのが通常運転。ただ、せっかくならこれからやってくる”未来”に視線を置いておくことで、現在のモヤモヤから少しは解放され、自分の進むべき道しるべに救われることもある。
では逆の、”過去の話”について苦い逸話をひとつ。
昔、旅雑誌の仕事で海外のパワースポットを取材したことがあった。初めて訪れる場所からどれだけ発見や感動を得ることができるかが、仕事に直結する重要なミッション。いかに自分をフラットにできるかに掛かっていた。見るものすべてが新鮮で、どこに惹かれポイントがあるかを精査する。だがしかし、同伴したカメラマンが口にするのは「この道は、〇〇に似てるなー」とか「ここは、〇〇にそっくり」「これ見たことがある」など、過去の記憶と摺り合わせをするばかり。最初は合わせていたが、何日もこうだとさすがに温度差が生じてくる。経験も歳もかなり上のカメラマンに「いま、目の前にあるものを純粋に見れませんか!?」と勇気を出して伝えたことがある。恥ずかしい出来事だ。
さあ、”未来の話”をしようではないか
「まとめ。」
ボクは、ヒト付き合いがあまり好きではない。
好き嫌いが激しいし相手に合わせることが苦手だから、そっとひとりにしておいてほしいというのが本音なところ。なのに、何かを伝えたいからこうやって毎週コラムを書いている。”過去の話”をどうしても加えたくて、忘れていた記憶まで掘り起こし追記してしまうのだから、こればかりは仕方がない。
”未来の話”をできるヒトはそうそう居ないし、ボクもそうなりたいと常々思っているところ。
アナタには、”未来の話”ができるヒトいますか?
それではまた来週!