第百二十九話 カオナシ。
毎週日曜日は『じろうの道草』コラムの日。
さて今週のは、”カオナシ”について綴ってみようと思う。
それではどうぞ。
「失顔症。」
”カオナシ”といったら、千と千尋の神隠し。
”のっぺら坊”といったら、実写映画も始まったゴールデンカムイ。
今回は、自身の長年の悩みでもある顔が覚えられないという”カオナシ”。
仕事、遊び関係なく、ボクはヒトの顔を覚えるのが苦手。打ち合わせや食事会などで何時間も一緒に過ごしているのに、次会ったら初めまして状態に逆戻り。同行する身内サイドの人にも呆れられるぐらい覚えていない。このポンコツぶりを知っているヒトになると、事前にわかっているかの探りが入り、相手側の情報を持ち出したりして確認作業をしてくれる。
この顔を覚えられないというのは、相貌失認(そうぼうしつにん)という歴とした障害で失顔症とも呼ばれるらしい。原因がわかったのであればひと安心。障害だからしょうがないじゃん、だって覚えられないんだから。ブラッド・ピットもこんな障害があるって言ってたし、ようやく開き直ることができる。
電車や街中で知り合いだと思って、自信もないのに勇気を出して話しかけたらまったくの他人だったなんてことは日常茶飯事。そんなのを小さい頃から繰り返していたものだから、誰にも話しかけることができなくなる。お会いしたときの服装や髪型から少しでも変わっていたら、本人と認識することより疑いの方が強くなる。
なんで覚えられないのかを振り返ったことがある。ちゃんと顔を見て話しているし、物凄く集中して向き合っているのは間違いない。思い当たることといえば、会話中、とにかくヒトの表情を窺っているふしがある。ちょっとした目の動きや口元などから伝わる感情の変化を異常に気にしている。特に、こちらが喋っているときの反応を探ることが多く、人間不信からくる自己防衛の反応ではないかと思っている。そんなことをしているから、顔全体をあまり見ていないのかもしれない。ピンポイントでしか見ていないから覚えられないのであれば納得の理由だし、正当化もできるのではなかろうか。
そんなグダグダ考えるより、自分が障害持ちであると認めてしまったほうがどれだけ楽に生きられることか!と声を大にして叫びたい。
「まとめ。」
これはホントのホント。
社会人になってから人に会う機会が増えれば増えるほど、悩みも膨れ上がっていった。一緒に働く同僚や後輩にも相談したぐらいだし、当時こんな障害があるなんて認識もされてなければ、存在すら知らなかった。
だがしかし、相貌失認なんていう立派な名前をいただき、自分がそうだとわかった瞬間、意外にも安心感が生まれ気持ちが楽になった。悲観したってなんの意味もないし、むしろネタにでも使ってやれってなもんで、いまでは誰にでも構わずお伝えさせていただいている。マイナスな部分なんて誰だって持ってるし、そこをコンプレックスにするか活かすかは自分次第。せっかくヒトとは違うものを手に入れたのだから、隠すなんてもったいないって思ってしまうワタクシ道草次郎。
さて質問。
『なんとなくではなく、写真ぐらいハッキリ顔を思い浮かべられるヒト、あなたは何人いますか?』
それではまた来週!