第百二十三話 しめ縄事件。
今日は大晦日。
クリスマスに大晦日にお正月、年末年始はなにかと行事で忙しい。
今回は、そんなお正月のちょっと苦い思い出を聞いていただきたい。
それではどうぞ。
「罰あたり。」
ボクがまだ免許をとって間もない頃の話。
蕎麦屋をやっている親戚が、毎年年越し蕎麦を用意していてくれる。みんな何かとバタつく年末、取りに行く役を命ぜられる。免許取り立てということもあり、喜んでおつかいを引き受ける。そこで働く従兄弟の旦那さんはそのあたりではちょっとした有名人で、”歌って踊れる蕎麦屋のせいちゃん”という自称なのかなんなのか通り名までついている。そんな陽気なせいちゃんは、昔のヤンチャな匂いは残っているけど、格好良くて面倒見が良くて誰からも愛される名物ニーさん。
そんなせいちゃんが、蕎麦と一緒に渡してくれたものが車に付ける”しめ縄”。車に乗り出したボクのために用意してくれていたのだろう。ありがたくいただいたのに、ボクはそのしめ縄を飾らずほったらかしにしてしまう罰あたり。机の横に置いておいたので、常に気になっていたのに付けることをしない。見るたび後ろ髪を引かれる思いをしながらも、それでもひと手間が掛けられない。飾るのが嫌ということではなく、ただただ面倒くさがっていただけなのだ。
せいちゃんはこの当時、歳のころは30ぐらい。いま考えればそこまでおじさんという歳ではない。そんな歳の人が18歳の少年に”しめ縄”を渡せる優しさや気遣い、きっと同じ歳の自分にはそんな考えすらなかったであろう。人との関係を大事にする客商売はやっぱり違う。人に対しての想いや重みが違う。自由気ままに生きてる自分とは”人間力”が違うのだ。大人になってからこの”しめ縄”の話を本人に伝えたところ、「若いころはそんなもんだよ」と笑ってくれた。
正月がくるたびボクはこのことを思い出し後悔する。人の想いを踏みにじることの薄情さ、わかっててなにもしない愚かさ、ホント自分が嫌になる。この一件があってからというもの、人にしてもらったことに対ししっかり向き合うよう努めているつもり。”ヒト”に感謝をするということを知り、せいちゃんの「そんなもんだよ」に”オトナ”の背中を見せてもらった。
『自分の想いなど一方的で構わない。少しでも伝わればそれだけで御の字。』
いまのボクはこんな感じ。
「まとめ。」
『失敗を重ねて人は成長する。』
昔の人はよくいったもので、まったくもってその通り。
失敗なんて数えきれないほどあるけど、自らの心ない失敗はどうしても深く根強く刻み込まれる。だからそこを払拭しようと考え真意を見ようとする。そこに”人の想い”が繋がってくるとさらにダメージが上乗せされる。そうならないようにはどうしたらいいか、という自問自答の繰り返し。だから人は成長するのだろう。
こういうことはいつまでも続けるべきなのだけど、歳を重ねるとすべてを自分の尺度で見るようになってくる。良くも悪くもここが一番厄介で、自分の世界を正当化しがちになる。良いことでも押しつけになれば元も子もない。最終いろんなことを学んだ大人のたどり着くところは、目を瞑って”すべてを許す”ことなのかもしれない。グッドオールドボーイの道はどんでもなく険しそうだ。
それではまた来週!
もとい、来年!
良い正月をお迎えください。