第百二十二話 ワナビー。
今日はクリスマスイブ。
副主宰に過ごし方を聞いたら、「娘も大きくなるとクリスマスもなんも変わらぬただの1日」という寂しげな返答。きっとそんなものなのだろう。
クリスマスといったらケーキ。ケーキといったら甘い。
さて今回は、この”甘味”から話を膨らましてみようと思う。
それではどうぞ。
「ルーツ。」
先日、<あんぽ柿>をいただいた。
干し柿の一種で、普通のものより柔らかくてねっとりとした食感、上品な甘さがなんともいえない大人の甘味。そもそもわれわれ世代の人間ですら干し柿にそこまで親しみを持っていない。もしかしたら食べたことない人も多くいるはずで、いまの世代からしたらなおさらではなかろうか。
干し柿のルーツを辿ると、はるか昔の平安時代。砂糖などない時代に甘みを求めて、渋柿を干し渋みが抜けて甘くする生活の知恵をあみ出した。日本人にとっての最初とも言える甘味の誕生。当時の人たちからしたら、それはそれはごちそうだったことだろう。そんなことを想像しながら食す<あんぽ柿>は、究極とも至高ともいえる自然が作り出した上質なデザート。
ふと現代を振り返る。これでもかというくらい見かけも美しく、甘み、香り、食感、どこをとっても抜かりのないスウィーツ天国。インスタ用に見かけ重視なものまで誕生している側面も見過ごせないが、ここらは一瞬でいなくなるからひとまずスルー。高級デパートの地下など行ったら世界中の甘いものが集まっているし、好きな人からしたらどこかのアミューズメントと遜色ないくらい楽しい場所なのだろう。
こんな豪華なスウィーツだらけの中、いまだに食すことのできる干し柿。見かけも見窄らしく、存在自体消えてなくなっても不思議ではないのに現存しているという事実。いま行列を作っているスウィーツも100年後、どれだけのものが残っているだろうか。日本人にとっての甘味のパイオニアであり、自然100%のスウィーツ。この干し柿が見直され、海外でも造られるようになっている特集を見たことがある。こういうものって、意外と日本の人より海外の人に響いて感銘を受けてくれるのかもしれない。
なにかとモノと競争が溢れる世の中。そこから発生する数々のモノゴト。見かけや格好だけに囚われていることが、なんだか馬鹿らしく思えてくる。すべてが干し柿のようにはいかないだろうけど、本質とはなんなのかを考えさせられた<あんぽ柿>。将来どんな人になりたいかという問いがあったら、『干し柿のような人になりたい。』と答えよう。
「まとめ。」
甘味のルーツだから干し柿がスゴいといっているわけではない。
いまだに残っているということが驚きであり、欲求から生み出された知恵に称賛しているだけなのだ。
現代に求められる映えポイントも一切なし、よく考えたらただのドライフルーツなのにこれほど反応しているのはなぜなのか。それはきっと”ヒト”との繋がりが強いから。一方的に提供されたものではなく、甘みを求めてそこらになっている渋柿をなんとかしようとした努力。のちに生み出された軒先の干し柿は、長い年月”ヒト”にたくさんの笑顔をもたらしたことでしょう。
そんな功労者がなくならない世の中でありますように。アーメン
それではまた来週!